■ 法事とは?
- 「法事をするのは 、亡くなった人を忘れない為にやるんだよ」と聞いた記憶があります。
もちろんそのような意味もあると思いますが、実は意外な意味があるのです。
■ 法要と法事の違い
- 法事は、亡くなられた方を供養する為に集まる会とも言いますが、似たような意味で使われる「法要」という呼び方も聞いたことがあるかと思います。
「法事」と「法要」とは、厳密に言えば同じ意味ではありません。
「法事」はおおまかに言うと、僧侶からの読経をいただく「法要」の部分と、皆で食事をしながら故人をしのぶ「会食」の部分でできていて、
「法要」+「会食」=「法事」
という構成になっています。 基本的にはそれぞれを分けて行うことも少ないですから、同じものだと思っている方も多いかもしれませんが、これらは日本独自の文化と、祖先を大切に想う行事だと思います。
■ 追善法要とは?
- まずは、法事と法要についてできるだけわかりやすく説明したいと思います。
一般に、私たちは「法事」と言っていますが、厳密に言いますと、住職にお経をあげてもらうことを「法要」といい、法要と後席の食事も含めた行事を「法事」と呼びます。
「初七日」とか「四十九日」「一周忌」ということばは聞いたことがあると思います。
故人が亡くなったあとに行う重要な法要です。
そもそも法要とは、仏になった故人を供養するという意味の仏教用語で、追善供養ともいいます。
法要は故人を偲び、冥福を祈るために営むものなのです。
冥福とは、冥途の幸福のことで、故人があの世でよい報いを受けてもらうために、この世に残された者が供養をします。
また法要は、故人が設けてくれた人と人とのご縁、「この人がいたから自分がいる」というつながりを再確認し、故人への感謝の思いを新たに、自分自身を見つめ直す場でもあります。
■ 忌明け法要や満中陰法要ってなに?
- 死後七日ごとに四十九日まで行う忌日法要(きびほうよう)と、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌などの年忌法要(ねんきほうよう)です。
仏教では、死後七週間はまだ故人があの世とこの世の間をさまよっているとされています。
そして死後七日目から七日ごとに七回、閻魔大王(えんまだいおう)をはじめとする十王から、生前の行いに対してお裁きを受け、四十九日目で来世の行き先が決まるとされています。
この四十九日間を「中陰(ちゅういん)」と呼んでいます。
中陰の間、遺族は、亡くなった人が極楽浄土へ行けるように、七日ごとの法要を行います。これを中陰法要といい、最初の7日目が初七日となります。
本来は、初七日に続き、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(なななのか・しちしちにち)まで、7回の中陰法要が行われていました。
しかし現代に近づくにつれ、人々は忙しくなったため、初七日のほかの中陰法要は特に行わず、七七日(49日)目に、十王の判決が下される日(忌明け)として、最も大切で大規模な法要を行うようになりました。
これが満中陰法要(まんちゅういんほうよう)であり、四十九日法要なのです。
■ 仏教では法要を行う日が決まっている。
- 中陰のあと、さらに百か日(100日目)、一周忌、三回忌と、計10回の裁きを受けるとされております。
残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、故人に善を送る(追善)法要を営むのです。 年忌法要は極楽浄土に行った故人がさらなる精進の道へと導くために営みます。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌とつづき、三十三回忌で長い修行の締めくくりとして、故人は菩薩(ぼさつ)の道に入り、「ご先祖さま=守り神」となります。 仏教ではさらに、五十回忌、百回忌と続きますが、一般には三十三回忌、もしくは五十回忌をもって「弔い上げ」とし、法事の締めくくりとしています。
■ 年忌行事
- 仏式では、年忌行事(一周忌~三回忌・・と続けていく事)を経て、最終年忌(五十回忌)の法事が終わると死者である「仏」が「神(氏神)」になるという意味合いがあります。
死者は永い間祭られることで荒神から祖霊となり、そして30年~50年かけて氏神となるのだそうです。
実はこれには諸説あり、
「神様になる」
「生まれ変わる」
「個性を失い、祖先となる」
などがよく聞くところだと思います。 弔い上げをすると故人は祖先となり、その後は「個人」としての供養ではなく「祖先」という集合体での供養をするので、弔い上げ後には個人の供養の儀式はなくなるのです。
実はこの考え方は日本の仏教独自のものなのです。